Review

リーディング短編集#1

発話の補助線としての音楽

増田 義基 | Yoshiki Masuda氏

恥ずかしながら「しあわせ学級崩壊」の名前は聞いていても、実際に本番を見る機会はこれまでなく、ダイジェスト映像記録やナタリーのニュースで少し見る程度でした。
そのため、事前の告知や公演中も役者さん自身によって言われていた「今回は少し違う(ライトな)感じ」という部分については、「きっと本来はもっと大きな音の中で、大きな音が出ることを許す環境の中で(つまり劇場やクラブハウスなどの隔離空間で)行われているのだろう」ということを意識しながら拝見していました。
自分は普段、仕事や趣味の関係で音や音楽について、またそれらが鳴る空間の構造を知ることや、その場所の文化的な背景について考えることが好きです。そのため、今回招待いただいて、おそらく「しあわせ学級崩壊」にとって根本的な部分である「音楽にのせて発語する」ということ、その効果や類型について素朴に(初見の者として)考えていました。そして「『しあわせ学級崩壊』における演劇は、音楽を発話のための補助線として活用し、その補助線を観客と共有することで、理解が平易な形で言葉を伝えている」と思いました。これについて詳しく書いてみます。

(1)補助線、「しあわせ学級崩壊」のメソッドについて

今回はいつもと少し違うライトな音楽、そしてライトな場所(営業終了後の渋谷のカフェ空間)ということでその部分は普段の活動とは違うと思いますが、四つ打ちを基本としたビートが流れ、そしてそれに乗せて”文学”(これは後述)をマイクによって喋る。その声がスピーカーから拡張されて再生されるという構造は、普段の表現形式とは変わらない、共通の部分だと認識しています。
まず、これが劇団(=演劇の上演を主目的とした集団)によって行われていると考えると、ステージで表れていることはあくまで演劇であり、それは「役者は声を大きくするためにマイクに向かって喋るという演技を要求されていて、大きな声を出すための身体を観客に提示すると同時に、役者自身もその身体を準備している」というふうに見えました。これはおそらく演劇の一つのメソッドであると表現できて、身体を観客に晒して言葉を喋る役者に、明確な演技指示を与えていると捉えられます。その中での差異があって、1人目の方は朗読、読み聞かせらしい感じ(もしかしたら演じているキャラがやや客観視点だったゆえかもしれないです)。2人目と4人目の方は共通して、1人称での役者らしい、舞台演技的な印象。林さんは歌らしい感じ、もしくは声優的な、ある物語を憑依する(肉化する)印象でした。

上記メソッドの一つ「大きな声を出す」ためには大きく鳴る音楽が必要です。さらに「大きな声出す」だけではなく、音楽に明確なリズムを設けてそれに乗せてしゃべるというルールを設けることで、発話のタイミングを指定している。このメソッドでは、(もちろん細部に至っては経験や訓練が必要になるにせよ)演じ手、聞き手ともにかなり平易にこのメカニズムを理解することができて、音響が適切にコントロールされている限り、負荷が少ない状態で言葉を聞くことができると思いました。日常と音の接点において、音楽と言葉の掛け合わせを聞く機会は、朗読や読み聞かせを聞く機会よりも多く、組み合わせて聴くことの忌避感はそんなにないでしょう。その意味で、負荷が少ない状態で言葉を聞いている、と感じた時に、もしかしたら今の社会で生きて、仕事をして慌ただしく過ごしている状態で表現を鑑賞する際、朗読や読み聞かせなどの言葉だけを素朴に、集中して聞くというのは案外難しいのかもしれない、と思いました。

ここで「ケアをする」という言葉が自分の中では出てきて、最初に述べた補助線=ケアとして、このメソッドを捉えました。公演の中で「実際に社会人をやりながら演劇をしている」という話が何回かありました。これは劇団に所属する何人かに宿るスタンスとしてもそうある、ということもあるでしょうし、裏を返せば今日この演劇を見に来る人も社会人として働きながら一方の余暇として来ていると言えます。加えて「名古屋の方では仕事をしながら演劇をしている人が多い(東京ではあまりなかったりする)」という話も自分の中では気にかかりました。確かに自分の周りでも、東京にいると、マス化しない表現と仕事を両立している人、あるいは、仕事帰りや余暇にそれらを鑑賞する人というのは少ない印象があります。そこで急に言葉(今回の公演で言うところの文学)だけが放り投げられても、解釈不可能性が高いのかもしれない。ゆえに、充分にマス化された素材である四つ打ちのリズムに乗せて発語を行うことで、演じる・鑑賞双方の参入ハードルを一気に下げているように感じました。

ただ、ハードルを下げるデメリットとして、音楽を用いることでどうしても感情的な昂りを表現の軸にせざるをえないのではないか、とも感じました。これは2010年ごろ、劇団ままごとの「わが星」を見た時に感じたことでもありますが、やはり音楽は人の感情を煽る力が大きく、時としてテキストの解釈可能性を無視して、感情や勢いの高揚に恐ろしい勢いで収束させて扇動させてしまう魔力がある。全てが良い話である(全てが良い話のためにある)、というところに結中させてしまう勿体なさがあるなとも感じています。

(2)テキスト(文学)の話

今回は音楽に合わせた書き下ろしのテキスト(文学)がある会でした。主宰の方が音楽も演出も構成もしているとは知らなかったので、そのマルチな担当の幅には驚きましたが、個人的には近代文学をあてがう方ではなくこちらの回(B日程)を見られて良かったかもしれないと思っています。
というのも、上演中も説明があった「トラックを作って、そこに合うテキストを書き下ろしてもらった」という方法は、上記のメソッドのまさに実践の形なのではと感じたからです。おそらく執筆を依頼された4名の方は、それぞれ「しあわせ学級崩壊」と何かしらの縁があって、作品をみたことがあるか、もしかしたら近いことをしている方たちかと思います。「曲に合わせて短編を書き下ろしてほしい、そしてそれは曲に合わせてリーディングを行うという形で発表する」というようなお題がそれぞれの執筆者に対して通知されたと想像すると、その結果生まれたこれらの文章はとても不思議な立ち位置に思えました。歌詞でもなく、ラップでもなく、散文詩でもなく、韻文詩でもないもの、としか形容できないもの、だなと感じました。
上演後にテキストを買って構造を見てみたのですが、4つとも、おそらく聞き逃し対策やリズム形成のために全体的にモチーフとなる言葉やセクションがやや反復される形式は共通していて、そこには多分に歌詞らしさが感じられました。が、歌詞が韻や掛詞を重視して意味や音が凝縮されるのに対し、今回の文章はどれも朗読を前提としているため、歌詞やラップよりは明らかに前後の文脈に依存していて、必死に発語される内容を聞き取り、どのような情景であるかを聞き手が想像して追いかける詩性への理解を必要としていると思いました。実際自分も音楽の中から言葉を必死に聴き取ろうと聴取して、結果的にかなり集中していました。

自分としては、このように生成されて生まれたテキストこそが「しあわせ学級崩壊」の持つメソッドが持つ音楽性なのでは?と感じました。実際に上演の際に流れている音楽は、その内容=音楽の質よりも、四つ打ちで大きな音が流れていることという機能の方が重要な印象を受けました。この意味で僻みひなたさんの音楽は(1)で書いたメソッドを実現させ、観客と共有させるための補助線としての役割になっている。実は流れている音楽そのものの質は重要ではない。では質として重要なのはどこかというと、音楽の構造から生み出されたテキストであり、この内容を読み伝えるだけで、そこにはもう独自の音楽性が宿っているのではないか、と感じました。上演後にこの短編集を買って、例えば音楽などなしにこのテキストを朗読するのはどうだろうかと考えました。もしかしたら「しあわせ学級崩壊」の根本のところ、「音楽にのせて発語する」に反する行為にも思えるのですが、一方で「音楽」とはなにか?という問いもまたあり得ると思っています。
極端な話ですが、例えばあの公演の行われていたカフェは、通りに面していて、時折車や救急車の音が不可分に上演に侵入してくるなど、そもそも場所として充分な音を持っていました。平日の夜という時間帯がその通りの賑やかさを決めていて、例えばあの場にただじっと50分滞在して耳をすませた時、どれほどの音が鳴りうるのか、鳴っていることに気づけるのか、ということを考えると、実はもうその場の環境の鳴る音は、BPMがとてもゆるやかなミクロな音楽としても十分機能しうる。そう考えると、今回は4つ打ちのビートの楽曲に乗せていましたが、「音に乗せて(音と一緒に)発語する」ことが大事なのか「リズムに乗せて発語する」ことが大事なのか、など、音楽をもっと要素分解して解釈することも可能で、そうなると言葉と音の多様な関わりが可能になるのでは、と感じました。

増田 義基|Yoshiki Masuda

作曲家・サウンドデザイナー。東京藝術大学音楽学部音楽環境創造科卒。同大学院中退。
在学中に音響プログラミングソフトを用いた電子音響音楽の制作技法や、映像作品へ音楽・音響効果を付与するサウンドデザインを学ぶ。卒業後はフリーランスとして映像や演劇、パフォーマンス、インスタレーション等のサウンドデザインやMR(Mixed Reality)技術を活用したコンテンツディレクションに従事する傍ら、音楽合奏集団「かさねぎリストバンド」の主宰として活動中。

主な賞歴に、CCMC2016 MOTUS賞、平成 29 年度東京藝術大学安宅賞、一般社団法人日本オーディオ協会音楽録音作品コンテスト 学生の部 最優秀賞。

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